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高山 辰雄先生ご逝去。高山 辰雄画伯
2007年9月14日肺炎のため、成城の自宅で永眠につかれました。(享年95歳)


「現代日本画の求道者」―自然の統一

日本画家 高山辰雄
文化勲章・文化功労者・芸術院会員
・日展顧問・審


日本画は、この時の移り変わりに応じ切れないで亡びるなどと云われる。云われたとてあわてる事なく、辛抱強くやる他ない。
日本画の方向、創作も、日本画の中にしかないと思う。
私にとっては、日本画は素晴らしいものです。
参考資料:現代の日本画「高山辰雄」学研1991年


年譜
  • 1912 大分市に生まれる。
  • 1931 東京美術学校日本画科を首席で入学、二年時に特待生に選ばれる。1934年帝国美術院第15回美術展覧会(帝展)に「湯泉」を初出品し入選する。
  • 1936 東京美術学校日本画科卒業、卒業制作に《砂丘》を制作する。
  • 1944 横須賀海兵団に入団、健康を害して除隊、昭和21年まで、女子学習院の講師を務める。1945年戦災を受け、被災によって多くの作品を焼失する。疎開先から東京・荻窪に移る。1946年第2回日展に「浴室」が入選、特選となる。1949年第5回日展に「少女」が特選となる。
  • 1951 第1回サンパウロ・ビエンナーレに出品、第7回日展に「樹下」が白寿賞を受賞、荻窪から成城に転居する。1953年インド国際現代美術展に出品。日展審査員となる。1955年第3回日本国際美術展(毎日新聞社主催)に出品。1958年社団法人日展が発足、会員となる。1959年日展評議員に選出される。
  • 1960 第2回新日展に出品の「白翳」に第16回日本芸術院賞が贈られる。1965年第7回新日展に出品の「穹」に第15回芸術選奨文部大臣賞が贈られる。1966年第1回日春展に出品、運営委員となる。1967年高山辰雄・香月泰男展が神奈川県立近代美術館で開催、代表作35点と素描・パステルなど22点を出品。1971年東京藝術大学非常勤講師となる。1972年高山辰雄、山本丘人、杉山寧新作展第1回展に出品。日本芸術院会員に任命される。1973年日月星辰展に屏風の五部作《朝》《海》《銀河》《山》《夕》と本画11点を出品。日展常務理事となる。1977年日展理事長を任期満了により退任、常務理事となる。渡欧、南フランスから北イタリアへ写生旅行をする。上村松篁、杉山寧、東山魁夷、山丘砂人会員の白虹会に第一回展から出品。1978年日本中国美術愛好者友好訪中団団長として中国を訪問。三度目の渡欧で、南フランスから北イタリアへ写生旅行する。
  • 1979 文化功労者に顕彰される。1981年東京藝術大学美術学部客員教授となる。
  • 1982 文化勲章を受章する。1983年大分市名誉市民となる。日本美術家訪中団団長として北京、杭州、紹興、上海を写生旅行する。1984年真言宗総本山金剛峰寺の奥殿に障壁画四八面の制作構想を発表。日本美術家訪中団団長として上海、洛陽、西安を写生旅行をする。1985・1986年日本美術家訪中団団長として中国を写生旅行をする。
  • 1987 日本中国文化交流協会代表団の団長として中国を訪問。1989年東京国立近代美術館において「高山辰雄展」開催され、昭和11年から平成元年までの代表作90点を出品、巡回展は京都府京都文化博物館で開催される。
  • 1995 海外での初個展「高山辰雄展」(パリ・三越エトワール)が開催される。1999年高野山金剛峰寺に障壁画「投華―密教に入る」を奉納する。  
  • 2000 画業70年と米寿を記念し「高山辰雄展―本画と素描」(大分県立芸術会館)が開催される、代表作50点、素描・下絵80点、版画60点を出品。

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